【驚き】節分の始まりが意外だった
今週のお題「鬼」
こんにちわ、とっちぃです。
今日は、節分。
あれ、今日が節分の日だっけ・・・・・・。
節分と聞くと、昔から2月3日が必ず節分だと思っていました。
しかも、ニュースでやたらと
『今年の節分は、1897年以来なんと124年ぶりに2月2日です。』なんて
報道されるものですから、気になって色々と調べてみました。
まず、節分とは季節の変わり目を表すもので、立春の前日だけではないんです。
節分(せつぶん、せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
私は、「節分=豆まき、鬼退治、恵方巻を食べる」
という概念に縛られていますね。笑
季節の変わり目には、邪気(鬼)が生じると信じられていたために、それを追い払うための悪霊払い行事が取りおこなわれていたようです。
平安時代に中国から伝わった悪疫邪気を払う追儺(ついな)の儀式に由来します。
鬼やらいともいい、朝廷の年中行事の一つでした。
元々中国から伝わったこの行事は、日本に定着していき現在の節分の元になったといわれています。
その節分の元になった、宮中行事の追儺(ついな)とは、どんな行事だったのか・・・
少し気になりますね?
追儺(ついな)とは??
宮中の年中行事の一つ。
大晦日の夜、悪鬼を払い疫病を除く儀式。舎人とねりの鬼に扮装した者を、内裏の四門をめぐって追いまわす。
大舎人長が鬼を払う方相氏ほうそうしの役をつとめ、黄金四つ目の仮面をかぶり、黒衣朱裳を着し、手に矛・楯を執った。これを大儺たいなといい、
紺の布衣に緋の抹額まっこうを着けて大儺に従って駆けまわる童子を小儺しょうなとよぶ。
殿上人は桃の弓、葦の矢で鬼を射る。古く中国に始まり、日本には8世紀初め頃、文武天皇の時に伝わったといわれ、社寺・民間にも行われた。近世、民間では、節分の行事となる。「おにやらい」「なやらい」とも。〈[季]冬〉
こんな感じです。
元々、古代中国には、大晦日の日に、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼の神様が、国の役人を全て引き連れて、宮中の鬼を追い払った、という伝承があるそうです。それを神事化したものだといわれています。
この方相氏(ほうそうし)が黄金の目が四つあるのは、
四方八方に漂う、悪疫・邪気をひとつたりとも見逃さないためだそうです。
おお、怖いですね・・・・・。笑
まるで、漫画『呪術廻戦』(じゅじゅつかいせん)の呪術師(じゅじゅつし)
みたいじゃないですか!!?
まさに、悪疫邪気が人間の負の感情から生まれる
化け物・呪霊(じゅれい)みたいなものかもしれませんね。
少し話がそれましたが、
この追儺(ついな)から始まり、
室町時代の『桃の信仰』に変わり,炒った豆で鬼を追い払う行事となっていったのです。
室町時代では炒った豆で鬼払いする習慣ではなく、桃だったようです。
ちょっと意外ですね〜。
つまり、追儺(ついな)の発祥地である中国において桃は力を与える樹木であり、
桃の実は「仙果」と呼ばれて、昔から邪気を祓い不老長寿を与える食べ物とされてきました。
「古事記」には
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって
鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させたことが書かれております。
そう、追儺(ついな)が日本に伝来した頃には、
桃を投げつけることが鬼退治に効果があると信じられていたわけなんです。
そして、、、
そんな桃がいつの間にやら豆に変わったのは、桃がこの当時も貴重品だったからようです。
そんな高価な桃がもったいないので、これを炒った豆で代用し、鬼を祓う行事となっていったそうです。
また、豆は「魔滅」、鬼の目である「魔目」を滅する(...何とも駄洒落のようですが笑)
言葉に意味と霊力を持たせたといわれています。
まさか、桃の代用で炒った豆が使われるようになったとは、驚きでしたね。
今日は節分。
緊急事態宣言もさらに1ヶ月延長されるというニュースまで報道されました。
そして、現世では新型コロナウィルスという未曾有の悪疫・邪気に打ち勝つため
みなさま、豆をまきましょう!!!!!!!
最近、ブログをやっていて思うのは
自分が興味を持って調べた情報をアウトプットするところがある幸せです。
今まで疑問に思ったことや調べたことをネットサーフィンして調べまくっても、
忘れていくことが多かったからです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。